水不足に苦しんでいた稲穂村では、明治中期以降に大規模な灌漑工事を行いました。山瀬を集める集水溝と、集めた水を池に送るための隧道で、固い岩盤やもろい岩肌を削り、長さ約46mのトンネルは人力で掘り抜かれ、人夫役が延べ1万人にもなったため、まんぷ(万歩)と呼ばれるようになりました。 開削以来、今も長内(ながうち)川からポンプアップした水を通し、稲穂と周辺の水田7haを潤しています。 毎年、美作第一小学校の四年生が校外学習の一環として訪れ、先人たちの偉業を語り継いでいます。 出典:「まんぷ」案内板