~コンクリートによる縄文的表現と作者が言う構造と空間~
<建築家>丹下健三
倉敷市立美術館は、1960年、丹下健三氏の設計により、倉敷市庁舎本館として建てられました。白壁となまこ壁が続く家並みと倉敷川沿いの柳並木、大原美術館という「倉敷」のイメージに対して、新しいシンボルとなる建築物が望まれていました。丹下氏は、「倉敷市の伝統と近代的発展にふさわしい、しかも市民のよりどころになるにふさわしい建築をと思って設計した」とコメントを残しています。
この建物の主構造は、現場打ちのコンクリートによるラーメン構造で、副構造として、プレキャスト・コンクリートを用いています。注目すべきは、建物の南北方向に高さ約2mの梁が約20mのスパンで架け渡されているという点です。それを支える柱は太く、壁は厚く、それらが打放しのコンクリートによってむき出しでつくられているため、大きな迫力を与えています。丹下氏は「東京都庁舎を日本の弥生的伝統の鉄による表現とすれば、香川県庁舎と倉吉市庁舎は、コンクリートによる弥生から縄文への過渡期のものであり、この倉敷市庁舎は縄文的表現といえるかもしれない。」と記してます。また、南北いずれからでも入ることができるエントランスホールに、高さ10mを越える吹抜空間がつくられ、今でもこの建物の見どころのひとつとなっています。
建築後、合併による新市庁舎建設の動きと郷土出身の日本画家・池田遙邨氏から倉敷市への作品寄贈が契機となり、現在の市立美術館として転用されることになりました。改修設計を担当した倉敷市出身の建築家、浦辺鎮太郎氏は、可能な限り丹下建築の特徴を残しながら美術館としての機能をもたせたと言っています。こうして旧倉敷市庁舎は「現代の校倉造り」と呼ばれた外観をほとんど損なうことなく、美術館として再出発したのです。