大多府島は、元禄11 年(1698 年)に岡山藩によって港が置かれ、諸藩の参勤交代の寄港地として賑わいました。大多府漁港に残る元禄防波堤は、現存する数少ない明治以前の港湾施設で、300 年以上経過した今もなお現役で活躍し、島の人々の生活に根付いた役割を果たしています。防波堤は、岡山藩の土木技術者・津田永忠の指揮のもと、石工河内屋治兵衛によるものと推定され、二段に石を組んだ直立式石積の構造に、優美な三次元曲面(かまぼこ型)を有し、合端(石と石の接合部の表側に近い部分)は密着して藩校として建造された閑谷学校の石塀と同様、頑丈で美しい外観を呈しています。 出典:国土交通省HP