津山における治水事業は、森忠政が1603(慶長8)年、城下町整備を行った時に始まります。「明治以前日本土木史」の吉井川の項にも、「本川沿岸に始めて堤防を築造し・・・・又左岸津山側は対岸より堤防の高さを高め、且つ水制を築設して水流を対岸に向はしめ」と、大規模な築堤工事、水制の築造を行い、吉井川左岸を重点的に整備したことが記されています。このとき築造されたのが、長さ約10m、幅約3mの弧状断面を有する「巻石」水制です。津山の水制は、打込みはぎで造られ、緩やかに傾斜しつつ、先端部が大きく曲線を描いて水中へ向かう形態に特徴があります。かつては、このような水制が津山周辺に数十ヶ所あったと言われていますが、現在は市街の上流・小田中地区に5ヶ所が残るのみです。この地点は吉井川が大きく湾曲し、幾度も水害に襲われているところで、水の流れを緩め、堤防を保護するために築造されたものと考えられています。 出典:(参考文献)樋口輝久・馬場俊介1998『土木史研究第18号1998年5月自由投稿論文』「西日本石造文化圏における「巻石」構造物-岡山県を中心とした実態調査」