森忠政が1603(慶長8)年、津山に転封し、吉井川左岸に藩の舟蔵や番所を設け、船頭町の重点整備を行いました。舟着場は「大雁木」と称され、堅固な護岸と水制から構成されていました。水制は半切りのお椀を伏せたような形状で、カーブのきつい局面が特徴です(打込みはぎ、空積)。護岸そのものは、荷揚用の通路をもった二段構造で、所々に石段があったとされていますが、現在は上段部しか残っていません。なお、文化・文政頃(1804~29年)にできた船頭町下流の林田、上流の安岡両地区の舟着場(ともに現存せず)も同様の形状であったこと、また、小田中地区の水制とも形態が類似していることから、このタイプの「巻石」が津山の特長と言えます。 出典:(参考文献) 樋口輝久・馬場俊介1998『土木史研究第18号1998年5月自由投稿論文』「西日本石造文化圏における「巻石」構造物-岡山県を中心とした実態調査」