~地方都市・倉敷を拠点に活躍した建築家による市庁舎~
<建築家>浦辺鎮太郎
倉敷市庁舎は、旧倉敷市・児島市・玉島市の合併により、新しい倉敷市となった13年後、倉敷市出身の建築家、浦辺鎮太郎氏の設計により建築されました。
浦辺氏は、京都大学で建築を学び、オランダの地方都市で活躍した建築家、デュドックにあこがれ、「時代性にこだわらない、風土性ある建築」を目指して、卒業後、故郷倉敷に帰住しました。その頃から、浦辺氏は、いつか「倉敷市庁舎」を設計したいという思いがあったと言われています。
設計にあたって、浦辺氏は、旧3市が瀬戸内海を共有した運命共同体であったことを踏まえ、合併のシンボルとして、市民自らの力で造った「誇りと愛情」が持てる市庁舎建築の実現を目指しました。
完成した市庁舎は、倉敷の町並みを意識したような白壁を基調にしながらも、古代ギリシャの建築様式をデフォルメした柱形、鐘塔のレンガ張りの壁面の隅部のコーナーストーン、連続したヴォールトやアーチなど、それまでの浦辺作品のデザイン要素が多く盛り込まれるなど、集大成とも言える建築物になっています。
同市庁舎は、建設当時の構想どおり「緑の中の市庁舎」として、また、「白壁の町・倉敷のシンボル」として、多くの市民に愛され利用されています。