江戸時代以降、大規模な干拓が進められてきた児島湾周辺の地区には、干拓用排水樋門や灌漑(かんがい)用水の分水樋門などが数多く築造され、今なおその姿を見ることができます。
丙川(ひのえがわ)は、干拓された岡山市興除・藤田地区を児島湾に向かって流れる河川です。丙川に設置された三連樋門は、煉瓦と石で造られ、3つのアーチ型の水の通り道が設けられています。これは干拓を請け負った藤田組の技師によって設計されました。明治期に造られた樋門の中では、規模も大きく立派なもので、デザインもヨーロッパ風で、現在も使用されています。
この他、かつて妹尾川(国道30号興陽高校バス停脇)にあった桜の馬場樋門は、国道の拡幅工事に伴って撤去され、約3㎞南の藤田スポーツ広場に移設、保存されています。隅石とアーチの環の部分が花崗岩が用いられているものの、煉瓦を主体として造られているのが特徴で、石と煉瓦のコントラストが目を引きます。煉瓦には讃岐(さぬき)煉瓦株式会社の刻印があるそうです。
出典:「あなたの街の近代化遺産ガイドブック」岡山県教育委員会